「ことづくり」の続き書きたくなって書いた。

「ことづくり」の話。

今朝ミシンしながらふっと浮かんだ言葉。

「ものづくり」ってすごくカッコイイ言葉で

ものをつくる事もすごく素敵な言葉だと思うんやけど

なんか俺は「ものづくりの人ではないな」って思う。

モノつくるのは大好き。

常にそんな事ばっかり考えてるし

頭に浮かんだイメージをカタチにする時は寝るのも忘れるくらい熱中する。

そんななんやけど、でもなんか「ものづくり」が最近しっくりこなくなってて

それは「モノ」っていう限定の部分なのかなって思う。



例えば家具をつくる時、例えば料理をつくる時、

俺は必ず相手が必要。

自分の為の家具ってなんか自分でつくるの楽しくなくて

大事な人や大好きな人(お客さんも同じ)の為につくりたい。

料理も一緒、自分一人で食べるものは自分でつくりたくない。

一緒に食べる時はすごく張り切るけどw



結局それってモノそのものじゃなくて喜ばせたい誰かや

伝えたい誰かがいるって事で

それは目の前にいる人であったりまだ見ぬ人(商品開発とか)だったり

またはそのモノ自身(リメイクとか)だったりする。



だから例えば「最高だ!」って自信満々に思えるモノができたとしても

それを喜んで欲しかった人に届かなかったら全く楽しくもなんともない。

逆に「ちょっと自分の趣味じゃないかも・・・」と思うものでも

その相手にとって最も嬉しいモノだったら自分の趣味とかどうでも良いかって思うし。



要するにそれって「モノ」ではなくて喜んでもらう「コト」とかが喜びなんだと思う。

喜んでもらった「出来事」とか、そのモノによってはじまるコトとか。



だからつくりたいのはモノよりコトの方なんやなって思う。

だから相手によってアウトプットの仕方も方向も全然変わるし

脈絡なく見えちゃったりするかもだけど実は俺には一緒のコトだったりする。



さらに自分が直接つくることができないもの平気。

「直接つくって欲しい」ってのがオーダーだったら喜んでそうするけど

作業や技でいったら俺より正確で上手な人は山ほどいるし

それを「俺が一番」なんて全く思わない。

だから自分よりも適任だと思う人がいたら喜んで道譲るし。

そんなことより「本当に欲しいモノ」に少しでも近づく「コト」が大事だと思う。



歳とってきてそう思うようになった。

二十歳とかの時って「自分がやる」みたいなとこがすごく大事だったから

何としてもやろうとしてきたけど、普通に体も頭も弱くなってくるし

「参りました!」って簡単に言えるようになった。

でもそれって別に諦めてる訳でもなげやりな訳でもなくて

「大事なコト」がそこじゃなくなっただけ。



昼のブログでちょろっと書いて

なんか続き書きたくなって書いたw

コトづくり。

今一番夢中になってることw


毎日工房作業だけしてた時の写真を今日もらった。

あっという間に1年半以上経ったんやね。


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